「無理ゲー社会」(橘 玲)をレビュー!冒頭だけ紹介

書評

こんにちは、正楽です。

今日は橘玲著「無理ゲー社会」をレビューしたいと思います。

平積みされている新書の中でふと橘玲の「無理ゲー社会」が目に止まったので、購入することにしました。ただし、家に帰ってから電子書籍で購入したのですけど。

電子書籍は家でワンクリックで購入でき、単価より少し安く購入できるのでおすすめです。本の置き場所も取らないため、最近はできるだけ電子書籍よりになってきました。

Kindle Unlimited会員になっている正楽は、無理ゲー社会が0円になってないか期待しましたが、残念ながら900円ほどしました。

さて本題の本の内容ですが、冒頭は読み易いのですが、中盤から終盤はほとんど飛ばし読みしたほど、内容が堅く難しかったです。

ちょっと予想外、マイトガイでしたが、概要だけお伝えします。

もし興味が湧けば、手に取ってみてくださいね。

「無理ゲー」とは

無理ゲーて聞いたことありますか。あまり正楽自身ゲームはしませんが、言葉だけは聞いたことがあります。よほど子供たちの方がよく使っている印象があります。意味は、攻略が極めて困難なゲームのことです。つまり、「無理ゲー社会」というのは、生きるのが極めて困難な状態の社会だということです。

みなさんはどう感じていますか。

多くの人がこう感じる原因として「公平(機会平等)」と「平等(結果平等)」が関係しているというのです。

・競争の条件が公平ではないこと

・競争の結果は受け入れるけれども、自分がその競争をさせれるのが理不尽だということ

この理不尽なゲームの構造を解き明かすのが本書の内容となっています。

「自分らしく生きる」という呪い

世界はますますリベラルの化しているらしいのですが、リベラルって何でしょうか。

リベラル

「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが自分楽しく生きられる社会を目指すべきだ」という価値観のこと

日本はそのような社会になっているような気がしますが、気がするだけで、すべてのひとが自分らしく生きられるのは理想です。そしてこの理想には光と闇があると述べています。

このリベラルな社会で「自分らしく生きられない」ひとは一体どうすればいいのか。

また、みなさんは「ドリーム・ハラスメント」なる言葉を知っていますか。

現代の若者は、大人や社会が「夢を持たせよう」とすることをハラスメントと感じているらしいのです。

このような「夢を脅迫する社会」になった理由を法政大学の児美川氏は、『フリーターやニートの増加を若者たちの「自己責任」にしたい大人たちが、夢を持たせれば、それが働く意欲の回復につながる。そうすれば、就職難や非正規雇用の問題も解決に向かうと夢想した』結果だと言っています。

橘氏の解釈は『より本質的には、誰もが「自分らしく」生きなければならないリベラルな社会では、夢は1人ひとりが持つしかないからではないか』と述べています。

そして、このようなリベラル化がはらむ問題を紹介しているのですが、書き出すと途方もないのでこれぐらいにしておきます。

書評

書評なんて恐れ多いです、読んだ感想を一言。

本書の最後の方に、「資本主義から才能主義へ」という一説があった。また、本書の副題にも「才能あるものにとってはユートピア、それ以外の者にとってはディストピア」とあった。

確かに昔は才能ある人はテレビでしか見ることがなく遠い存在だったが、最近ではYouTubeやSNSで才能ある人がより身近に感じられるようになった。さらには、自分もその一員になれるのではないかとさえ思わせる。だから子供の人気職業にYouTuberが挙がるのも納得できる。

ただ、生まれた時から才能があるわけではないと思う。本書でも紹介されていたが、「遺伝と環境は半々」だとするなら、才能として開花するまでに環境も大きく関わってきているはず。小さい時からそういう環境に身を置いていた方が有利であることは間違いないが、子供のときは環境は選べない。しかし、20歳を超えた大人は自分で環境を変えていけると思う。

ただ、正楽のように才能なき者が今からどうこうしようとは思わないが、無理ゲー社会のなかでも、ささやかな楽しみや幸せは周りに転がっていると思う。それを見つけるようにすれば、無理ゲー社会の中でもそれなりに楽しめるのではないかと思う。

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