接近
学校には大小様々な行事があるが、大きな行事の1つに体育大会がある。学校によっては春の5月に行うところもあれば、秋の9月に行うところもある。
うちの学校は例年5月に行っていた。6年生にとっては、最高学年としての自覚が芽生え、学級の絆も深まる一代イベントだ。
逆に1年生にとってはまだ幼稚園に毛が生えた程度であるため、集団行動を学ぶきっかけになる。
うちの学校は親子種目がある。
児童と保護者が協力して競技をする子どもが楽しみにしている競技の1つだ。
毎年同じ競技では味気ないため、教員は毎年競技内容を変える。
競技名もトレンドを取り入れた名前にしようと頭を捻る。
今年の中学年親子種目はデカパンリレーに決まった。
1つの大きなスカートに親子で入って走り、そのデカパンを次の人に渡すシンプルな競技だ。
体育大会が間近に迫ってきたある日、放課後に1本の電話がかかってきた。
「はい、徳川小学校です。」
「あ、お世話になってます。3年の長谷川ですけど」
すっと背筋の伸ばす。保護者からの電話であまり良いことはない。
一瞬で今日1日を振り返った。なんかまずいことがあったっけ・・・と思っていると
「先生、お願いがあるんですけどいいですか。」
「何でしょう、自分にできることであれば。」
「体育大会の親子競技なんですけど、私走れないんで、やよいと走ってもらえませんか。」
思わぬ提案に、一瞬言葉が詰まった。「僕がですか。」と言いながら、どうしようか迷った。
親が来れないならまだしも、親がいながら教員が走っていいものなのだろうか。
保護者でなくても中学校や高校に兄姉がいれば、兄姉と走ってもいいのだが、あいにくやよいちゃんは一人っ子だ。
「お母さん、走れないんですか。やよいちゃん、お母さんの方が絶対いいですよ。」
少し食い下がってみたが、全然意に介した様子もなく
「私、走るのとか無理なんです。やよいも先生でもいいって言ってるし。」
「はぁ、そうなんですか。自分でよければいいですよ。」
承諾してしまった。
特に勝敗に大きく関わることではないからまだしも・・・
それにしても、走るの無理って、ちょっとはやってみようとは思わないのだろうか。
そうして迎えた体育大会当日。親子種目は、無事やよいちゃんと走り終えた。
中学年の女子は、まだ男性教員に対して毛嫌いする歳ではない。それがせめてもの救いだった。
グラウンドの周りを歩いていると、長谷川さんが近寄ってきた。
「先生さっきはありがとう。」
「いえいえ、あれでよかったですかね。」
左肩から紐が垂れた白のオーバーオール、足元はコンバース。本当に走る気がない人の服装だ。
「いやん、先生その格好かっこいい」
軽いノリ。100%お世辞と分かっていても、褒められることに悪い気はしなかったため、感謝の言葉を述べてその場を立ち去った。とりあえず役目は果たした。
無事体育大会が終わり、学校全体が学習モードに切り替わろうとしていた。
3年生から始まった社会で、地域の店や建物を調べる社会科見学があった。歩いている途中「あれ、私の家」「これ、ぼくんち」そんな事がいくつもあがった。
折り返し地点の神社に到着した時、やよいちゃんが「あ、ママ〜」と手を振っていた。
ちょうど神社の前がやよいちゃんの家になっていた。家の中からは、やよいちゃんのお母さんともう1人若い男の人が手を振っていた。
お父さんはいないはずだけどと思った瞬間、やよいちゃんの言葉を思い出した。
例の10こ下の彼氏だ。それにしてもこんな平日の昼間から仕事はどうしたのだろうか。
あんまり見るのも失礼な気がしたため、集合写真を撮る準備を始めた。
後から聞いたのだが、ちょうどこの頃に籍を入れたと聞いた。
6月のある日、やよいちゃんが休み時間に友達とバレエの練習をしているのを目にした。
「やよいちゃん上手やね。」
「今度コンクールがあるの。」
「へぇ、見てみたいなー。」
軽い気持ちで言ってしまったことを後悔することになった。
翌日の連絡帳にバレエコンクールの招待券が挟まっていたからだ。
軽率だったと自分の発言を反省した。後悔しつつも、連絡帳に感謝の辞を記した。
コンクール当日、バレエでは出演者に贈り物をするのが多いと聞いたので、花束を買っていった。
受付は混雑していたが、何とか済ませて会場に入った。コンクールはすでに始まっており、会場は暗かったがお客さんでいっぱいだということだけは分かった。
席がどこか分からずにいると、視線の先で手招きする人がいた。
身をかがめながら進みようやく腰を下ろすことができた。
隣に座るやよいちゃんのお母さんを見て、疑問が降って湧いた。
なぜ隣に?旦那さんも来ると聞いていたからだ。
「すみません、遅れてしまって。旦那さんは来られないんですか」
「そう、来れなくなったの。」
ふーんと思いつつ、間を1つ空けるのは不自然なので隣に座った。
座ってからもどことなく落ち着かなかった。
バレエのコンクールが初めてだったからだろうか、腕と腕が触れ合うくらいに近かったからだろうか。
これが、僕たちの始まりになった。
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