教師と保護者の恋愛小説「わかっているけど」(32)

小説

長谷川さんを親に紹介し、反対されてからというもの長谷川さんの話題は誰も口にしなくなった。

人を説得するときに、「わかってくれるだろう」という思いは無意味で、言葉を尽くすしか意味をなさない。むしろ、言葉でしか相手を説得する術はない。

どの言葉を選び、どのような構成で話をし、どの言葉に気持ちを込めるか。

言いようによっては結果は変わっていたかもしれない。

つまり、結果を変えるほど練り込まれておらず、覚悟も足りなかったということだ。

情けない想いもありながら、どこかで受け入れている自分もいた。

そして、どこかでは境遇のせいにしたり、運命のイタズラなんてものも考えてみたりした。

自分が次男だったら、寺に生まれてなかったら、子どもができない体質だったら、長谷川さんが同じ歳だったら、違う職業だったら、子どもがいなかったら・・・

考えても仕方のないことを考えることで、現実に言い訳をしなかったのかもしれない。

そんなことを考えていると、フッと笑えてくる。

まさか自分がそんな道を歩むことになろうとは。

教員になって、それなりの歳で結婚して、当たり前に子どもができて、親になって、なんだかんだありつつ暮らしていくものだと思っていた。

一般的な幸せがこんなに難しいとはw

人生思い通りにはいかないものだ。

途中まではいい感じで来ていたと思っていたが、ステージ2で「ふりだし」に戻された。

しかもペケ付きだ。

そのペケが今後の人生にどんな影響をもたらすかは分からないが、ペケはペケ。バツの意味は確かに持ちそうだ。

そういえば、友人と人生ゲームをしたときに少し納得できないことがあった。

ゴールした中で1番多くの資産を持っていた者が勝ちだというのだ。

え、そうなの?と思った。負けたからではなく、純粋に。

もちろん、判定基準が資産なのが1番分かりやすい指標なのはわかる。

だけど、人生の勝者はお金だけでは測れないと思うのは自分だけだろうか。

大富豪ゲームなら納得できる。しかし、人生ゲームなのだから、違う基準もあって良いと思う。

途中で車に乗せた嫁や3人の子どもは関係ないのか。家を買ったことは?転職したことは?

思い出の数や、経験値もぜひ追加して欲しい基準だ。

脱線してしまった。

ふりだしに戻ったからといって諦めたわけではない。

ふりだしペケ男にも強みはあるはずだ。

生かすも殺すも自分次第。

さて、次の目は何かな。

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