最終章1 別れを想像する
前回から間が空いてしまいましたが、前回の57回をふと読み返してみるとなんかキモさ100倍ですね。
えてして夜に書く文章というのはキモくなりがちです。
知ってはいましたが、なんか思うところがあったのでしょう。
日中の今読み返すと目も当てられません。
しかしながら、考えていた内容にはさほど変わりはありません。
この間ふと別れ話になりました。
きっかけは僕の発言です。
「きっと数年後には、なんで私あんな先生と付き合ってたんやろって言ってるわw」
こういう発言に長谷川さんは敏感です。
「なんでそんなこと言うの?」「なんでそういうことが言えるの?」と後から電話をしてきました。
自分では別れを切り出すタイミングはもう少し様子を伺ってからにしようと思っていましたが、今も後も同じかと思い、自分の考えを伝えました。
我が子が欲しい思いが大きくなってきたこと。バトンを渡す使命がある気がすること。
そんなに長い時間ではありませんでしたが、お互いの気持ちや考えを伝え合いました。
長谷川さんはこれからも一緒にいたいという気持ちですが、自分のどことなく後ろ向きな気持ちには気づいていたみたいです。
よく聞く別れ話というのは、どちらかが相手のどこかに愛想をつかし、好きだった部分が嫌いになり、一緒にいたくなくなって別れるのが一般的でしょう。
僕も離婚するときはそんな感じだったと思います。
むしろその方がお互いに楽な気もします。
別れた後に、友達に愚痴を聞いてもらい、別れてよかった相手だと承認をもらい、前に進んでいけるからです。
と思うだけで、もちろん自分たちの別れだけ美化するつもりはありませんし、それぞれの別れにはそれぞれの事情があるものですから、「一般的」というのも本当はないかもしれませんね。
長谷川さんは言います。
「嫌いじゃないなら一緒にいればいいやん。別れる必要ないやん。先生には私しかえんのやって。」
そんなことは自分も分かってます。
こんなに安心できる人はいません。
この先も2人でいるならお金も時間もあるし、食べたい物も行きたいところもそれなりに行けるでしょう。
2人で楽しい生活は送れるでしょう。それは自分でも容易に想像ができます。
しかし、それには条件があります。
それは、我が子を、先祖からの系譜を、それに付随するいろいろなことを諦めるということです。
今のところ僕にはそれができそうにありません。
それを乗り越えられない程度の「好き」だったと言われればそれまでです。
使命なのか、呪縛なのか、なんなのかは分かりません。
この先、器量の小さい僕は必ず自分も相手も責めてしまうでしょう。
それまでの関係が一変して違うものになるのは目に見えています。
それは、お互いに精神的・肉体的・金銭的に大きな負担になります。
今までの関係がそんなふうになるくらいなら、今別れた方がいいと思っています。
こんな歌があります。
性別も年齢も家柄も国籍も 外見も年収も過去も何もかも全部
関係ないのが恋だろ 乗り越えられんのが恋だろ
誰に断るでもなく 勝手に 今日もただ君が好き
今日もただ君が好き
恋だろ/wacci
長谷川さんは「この歌嫌い」って言ってました。
なんとなく理由はわかります。
僕は割と好きです。
なぜなら、「恋」ならそれでいいからです。
どちらにするにせよ人生には「覚悟」が必要な時がありますね。
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