年度末がすぐそこまで迫っている3月。長谷川さんは思いもよらぬことを言い出した。
「転校させようかな。」
驚いたが、確かに前々から住んでいる場所が不便だとは言っていた。会社の往復にやよいちゃんのバレエの送り迎え。西へ北へと奔走する毎日だったからだ。
「もっと利便性のいいS市にしようかと思って。」
S市は県内でも唯一人口が毎年増えている市であり、商業施設もインターや駅もあり利便性がいい。長谷川さんの会社からも近く、バレエの送り迎えにももってこいだ。
「アパート代かかるよ。」
「時間の方が勿体無いもん。」
確かに言えている。移動時間ほど無駄なものはない。どこでもドアがあったら1000万でも買う。実際にあったらもっと高価だろうけど。
決めてからの長谷川さんの行動は早い。
実際一緒にアパートを見にいった。広々としたセキュリティーもしっかりしている新しいマンションだ。2LDKで駐車場2台付きで月8万。田舎ではそれなりにする値段だ。決断も早く、いつの間にか契約する流れになっていた。
そうなると、学校でも転校手続きが必要だ。指導要録を相手の学校に送ったり、申し送り事項を伝えたり、学級ではお別れ会をした。
引っ越しは年度末年度始めでとても手伝える余裕はなかったが、長谷川さんはちゃっかり終わらせていた。その代わり、ニトリや家具屋、電気屋に連れ回された。やよいちゃんの勉強机にベッド、家電一式を一緒に選んだ。
そこで僕は長谷川さんの一面を知ることとなる。
某電気屋に冷蔵庫、洗濯機、テレビを買いに行った時だった。店内をいろいろ見回って、それぞれに目星をつけた長谷川さんは、店員を呼び止めた。
「はい、いらっしゃいませ。」
「ね、これ全部買うんやで安くしてや。」
「ありがとうございます。ちょっと計算しますね。・・・これでどうでしょうか。」
店員は、単純に定価を足した値段よりもかなり安い価格を提示してきた。
結構値切れるもんなんだと僕は思ったが、長谷川さんは違った。
「無理やって。もっといけるって」
!!!!
まじまじと長谷川さんの顔を見てしまった。
店員さんも「もっとですか・・・」とかなり困惑している様子だった。
「私60万以上出さんでの。」
!!!!
店員さんが可哀想に思えていたたまれなくなった。「ちょっと聞いてきます」と店員さんは奥に引っ込んでいった。もうやりとりを見ていられず、僕も長谷川さんから離れた。
他の製品を見ていた僕のところに長谷川さんがやってきた。
「60万やって。」
どうも60万で成立したらしいが、嬉しそうでもなんでもない様子。僕からしたら60万なんてとても提案できる価格ではない。詳しくは覚えていないが、「そんなんありなの?」という値下げだった。
車に戻ってから、長谷川さんが言ってきた。
「もぅ〜なんで先生いなくなるんやって〜」
「いや、店員さんが見てられなくて。」笑
「ほんなもん、こんだけ買うんやで当たり前やわ。」
「よう60万なんて言うたわ。店員さんめっちゃ困ってたし。」
「だってそれ以上出したくないんやもん。」
「いやいや、そんな客えんでしょ。すごい顔で睨んで。」
「だってちょっとしか引いてくれんのやもん。」
呆れた。なんという客だろうか。自分勝手すぎる。本当に店員さんが気の毒で、気ままな人だと思った。
そう思う一方で、憧れに似た感情も抱いた。あれだけ強気に出たことなんて、僕は生涯一度もない。「安くして」も言えなかっただろう。
自分と真逆、圧倒的に自分に足りないものを持っていた。
一面と言うにはかなり大きな一面を目の当たりにして困惑したが、まだまだ始まりに過ぎないのであった。 to be continued
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